まずこのksgは洋ゲーの「FallOut」シリーズをもしも風にした作品
だと言う事は周知の通りで、パワポケの裏サクセスのテイストを混ぜた感じです。
このゲームの売りはプレーヤーなりに色んな方法で解決し
解決方法によって目的は達成するも、得られる物が違う事です。
得られる物によって時に悪事に染め、誰かを犠牲にする場合もあります。
誰も犠牲にしない方法もあるけど得られる物は少ないという
一種の等価価値のコンセプトがあり、これは原作のFallOutのコンセプトの一つ。
これによりプレーヤーは有利にするために人を犠牲にするか悪事に手を染めるか
良心に悩まされる葛藤を味わせる醍醐味が楽しんで頂けたらなと思います。
No.65「
すでに私たちは地獄のまっただ中でした。」は
ローゼンクロイツさんの作品でツイッターでも色んな人が絶賛してたので
気になって先日に実況でPIAIしました(録画もあるよ)。
文章はシスグラの都合で時々見づらい事があるのですが
逃走前提の戦闘で「逃 げ ろ !!」とか住民がゲーム全体の説明する時
ただ説明するんじゃなくて、住民の毒舌っぷりが良い味出てるんです!
貧乏人なんだからお金持ち様が使う回復薬じゃなくて
回復魔法で直してりゃあいいのよ!(うろ覚え)とか結構イラッとさせてくれますw
雰囲気も一つ一つのマップのテーマに合ったBGMのチョイスなのはもちろん
外が寒い町で暖かくなりそうなBGMを流しておいて町が暖かい理由で
うわあああああってさせたり、BGMだけで雰囲気が出てるんです。
そこに加えてマップの構成やマップの色合いが毒々しかったり
肉塊が転がってたり、また演出で人が肉塊になる場面も強烈です。
物語は後で比較があるので詳しい内容は割愛しますが
人々が糞と汚物の一言で言える位に狂ってて、その狂った先も
やはり糞まみれなんですがその中に人間性について考えさせられます。
まず間違いなく人を選ぶ作品です・・・が! とても上手く言えませんけども
これは間違いなく名作ですので、まだやってない人は是非やって見てください。
本題に入りますが、物語はこちらの主人公と
No.65の主人公マルクトは過酷な環境から始まります。
こちらは主人公に選択を迫られ、選択に応じた結果が出たのに対し
マルクトは他人に流され、物語の中盤まで人に流されるままに
理不尽な仕打ちと幾多の狂気を強いられてきます。
この時点でも二つの作品の主人公が対比されてます。
終盤でどちらも自分の正体と過去、存在する本来の目的が明かされます。
こちらのksgはラスボスによって世界が滅ぶのを止めさせる事に専念しますが
マルクトは2人の姉妹が課した2つの選択を自らの意思で選びます。
「人を進化させて新たな世界に導く」「人のまま今の世界の問題を解決させる」
ここで両作の主人公の可能な行動と意思が逆転していて、とても面白いです。
こちらはこの場に限って一つの選択を強いられるのに対して
今まで選択のなかったマルクトに二つの選択を自ら選ぶ事になったのです。
ちなみに物語の結末はこちらだと一つですが、No.65は2つ。
こちらはラスボスの提案で世界が再構築された末にもしも世界が生まれ
生き残った人々はもしも世界の住民として楽しく暮らします。
No.65は、人のまま世界が元に戻れるか賭けに出るのと
住民を新たな生物に進化させて新たな世界に向かってやり直す。
結果論で言えばこちらのksgとNo.65の結末は同じだったり対比されますが
違うのは、こちらはラスボスの提案とその行動に委ねて得られた結末なんです。
NO.65も姉妹が干渉しますがマルクトがこうしてくれ!って選択して
姉妹がその選択を了承して実行するのでまるで違うんです。
この類の主人公キャラが喋らない作品ならプレーヤーに意思選択の余地があって
ラスボスの戦いにはプレーヤーの解釈や選択の余地がありますが
こちらのksgにはないです。
というかそもそも地球がどうこうなんてぶっちゃけどうでもいいし(良くないけど)
そういう事を言いたかったわけじゃないからです。
それが言いたかったならそれを考えさせる場面をもっと用意したり
他にも一つ一つのイベントを丁寧に煮詰めるべきだったし
現実のいろんな問題についても考察して、No.65のように色んな町に
問題を発生させて自分なりの結論とかを多く出すべきでした。
じゃあ改めてこのksgで言いたかった事について
それは次回に語ろうかと思います。
(To Be Continued…。)
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